月の夜に降る雪

――詞華集 日々の営みの中で さまざまにうつろう 心模様です――
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後悔

後悔しても仕方ない。
それは分かってた。

誰かを亡くすと後悔する。
それも分かってた。

だから分かってた。
後悔は必ずあるけど、考えても仕方ない。

できるときにできることをして、
あとは後悔があっても仕方ない。

だけど今になって思う。

あの日、ぐずぐず仕事をしていないで、
すぐに帰って病院に行ってあげればよかった。
――それは電車一本二本の違いでしかないけど、
でも一分でも早く行けばよかった。

あの日、これから何日も泊まり込むことになるからと、
一人にして帰ったりしないで、病室にいればよかった。
――それはあのときの判断では当然なのだけど、
でも泊まってあげればよかった。

前の前の週、週末に帰ってあげればよかった。
こんな急にこんなふうになるとは知らず、
それは分かりようがなかったけれど、
でも帰ってあげればよかった。

その前の週末、旅行に行ったとき、
もっとたくさん話せばよかった。

前の月、どうしても予定が空けられなかったけど、
行きたいと言っていた旅行につきあえばよかった。
どんなに非難されても、休みを取ればよかった。


そのとき

同じ頃に同じように家族に病を得た友人は、
痛みや苦しみにあえぐ姉をわたしより早く見送った。

そのときが来てしまったら、なんて言えばいいんだろう。

今は言える。
いろいろなことが言える。

でもそのときが来てしまったら、終わりに向き合う不安に対して、
わたしはなんて言ってあげられるだろう。

そう考えたこともあった。

言えることはないと思った。
そんな恐怖に言える言葉はないと思った。

思いついたのは「今日じゃないよ」という言葉だけ。
「でもそれは今日じゃないよ」「今日じゃないよ」
明日かもしれないけど、でも今日じゃない。

役に立たない言葉しか浮かんでこなかった。

・・・・・・

そのときが来たらあまりに早かった。

数日で逝った。

何も言う暇もなかった。
どれだけ不安だったかも、聞くことがなかった。

それはよかったのか、そうではないのか、
分からない。

逝ってしまったことに変わりはないから、
わたしにとってはどちらでも変わりはない。

そして当人の気持ちはもう分からない。


現実

夜の電車の中で、
ふと窓に映る自分を見てはいけない。

年が露骨に出ている顔に、愕然とするから。

本当はそんなに老け込んではいないかもしれない。
人と話しているときは、表情もついているのだから。

でも電車に映る顔は年が出すぎていて、
醜く映る。


2ヶ月

あの子に会わず、話もしない2ヶ月が過ぎた。

そんなことはこれまでもあった。
半年一年会わないような年もあった。
でもこの世界のどこかにはいた。

電話をすれば声を聞けるような気がするけど、
家に行けばそこにいるような気がするけど、
どこにもいない。

あんなに笑ってた子だったのに、
あんなに友達がたくさんいて、
あんなに遊びまわって、旅行も行って、
人に好かれて、みんなの輪の中にいて、
病気や死からあんなにほど遠いところにいたのに。

どうしてこんな子が、こんなに早くに、
この世のどこにもいないなんてことになってるんだろう。

そんな話は世の中のあちこちに転がってて、
特別なことでもなんでもないけれど、
わたしにとってはありえないこと。

もう会えないなんて、
会いたいと思っても会えないなんて、
声を聞けないなんて、
いつか声の記憶も薄れていくなんて、
わたしが年をとっても、
いつまでも写真のままの笑顔だなんて。


人はひとり

誰も助けにはなってくれない。

誰もわたしのすべてを引き受けてはくれない。

依存してはいけない。
依存させてくれる人はいないから。

家族だけが頼らせてくれる。
それでも最後の最後までとは限らない。
最初の最初から頼れない家族もいる。

誰も不安や悲しみをすべてよりかからせてはくれない。

何度も何度も思い知ってきたことのはずなのに、
また思う。

誰もわたしのすべてを引き受けてはくれない。

自分ひとりで越えていかなきゃならない。


お守り

置かれているすべてのお守りの無意味さにかすかな苛立ちを覚える。
何もしてくれなかった、何も変わらなかった――当たり前のことなのに、
お守りなんかで何かがどうにかなるわけないのに、なんとなく許せない。


わたしの人生は終わった

あなたがいないと、この世は違うものになってしまう。
だからまだ行かないでほしかった。

わたしの人生は終わった。

まだ続く命を捨てはしないけど、
だからまだこれから生きていくけど、

ここから先は残りかすの人生。

今は新たに残りかすの人生を始めようとしている。


Funeral

最期のときにその人の人生が評価されるのなら、
大成功の人生だったのだろうと思う。

たくさんの人に悼まれて、
入りきれないほどの人が集まって、
焼香台も急いで増設されて、
返礼も念のための多めの予備まで使い切って、
家にも最後の別れに来る人がひっきりなしだった。

でも誰よりも長く生き残って寂しいお葬式だったとしても、
長く生きたほうがよかったよね――

それほど楽しんだ人生だったんだから、
まだあと同じくらい――
これまで生きてきたのと同じくらいの年月を生きて当然だった。

生きるべき半分しかなかった。

どんなに充実していたって、もうあと同じだけ、生きるべきだったよ。


その事実

ふとした瞬間に、
もうどこにもいないんだ、という事実が
突き刺さってくる。

表示された一覧の中にアドレスを見つけたとき。
昔の楽しそうに笑ってる写真を見たとき。
週末に行くイベントを考えていて、誘う相手として頭に浮かんだとき。
お正月どうしようと思ったとき。
会いに行こうと思ってしまったとき。
話したいことがあったとき。

いろんなとき。


今日は泣いてしまう日

悲しい出来事っていうのは、現実感がなかったりする。
それが日を追っていくと、少しずつ現実だと分かってきたりする。

今日は泣いてしまう日。

もうあの笑顔はどこにもないと悟る。
もうあの声を聞くことはないと思い知る。

喪ってしまったのだと実感する。

今日は泣いてしまう日。


生への希求

どんな最期のときも、
どれほどもうろうとして、どれほど息が苦しくても、

こんな最期の最後までも、命は生きようとする。

生へと手を伸ばそうとする。
手に力が入らなくても。

物を食べようとする。
小さなスプーンさえ持てなくても。

明日のために起き上がろうとする。
ベッドにつながれないために。

どんなに弱っても、もう炎が尽きかけても、
命は必死で生きようとする。

命が燃えつきかけたとき、
命は必死で燃え上がろうとする。

絶望的な努力をやめようとしない。

命は本能的に生への希求を持っている。

あの姿が頭を離れない。


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