月の夜に降る雪

――詞華集 日々の営みの中で さまざまにうつろう 心模様です――
MENU

誰にもそれはある

誰にもやりきれないことはあって、
誰も泣きながら立ち上がって、
いやでもまた歩いていく。

誰にも耐えきれないことはあって、
みんな立てなければ這ってでも、
ずるずるとまた進んでいく。

無題

人なんて結局みんなわたしを傷つける

表面だけの職場の友人のみにしておくのがいい、たぶん

仕事をやめれば終わっていく関係

人なんて親しくなればすれ違っていく

深く知り合わない知人程度の友達だけにするのがいい、きっと

いつでも遠ざかっていけるくらいの絆

人なんてみんなわたしを傷つける


友達の法則

人と仲良くなって、
親しく話すほど合う人で、
そんな人と出会えて幸せだと思ってつきあううち、
やがてまもなく気づく。

やはり最後は分かりあえないんだっていうこと。
最後の二歩くらい手前で、分かりあえなくなるっていうこと。
いや、三歩四歩手前でもうだめだっていうこと。

人と人とは100%は分かりあえない。

50%、60%でつきあうようにすれば、
たくさん友達がいる人になれる。

70%、80%は満足したいなら、
少数精鋭の友人を持てる。

90%を求めるとしたら、
友達のいない人になるだろう。


ひとり

もともと友達は多くなかった。
この五年、少ない友達も切れていった。
あるいは切っていった。

不安に苛まれた五年だったから。

不安の代わりに、悲しみがやってきた。
それは暗闇だけれど、でも終わりでもある。
終わりの次は顔を上げて。

新しいスタートを切るのだから。

人の関係に名前なんてつけられない。
家族でも恋人でもなく、顔見知りより親しいなら、
それは「友達」としか呼びようがない。

どう呼ぶかなんて関係ない。

少しずつ進んでいかなきゃ。
残りかすの人生だけれど、でも少しずつ。
そして「友達」ができた。

切れた。またできかけて、切れた。

近づいてくれる人もいた。
でも求められているものが違う気がした。
わたしが欲しいものと、相手が欲しいものと。

だからつなぐことができなかった。

わたしは向かない。人との関係に向かない。
ゆがんでるようだ。変なふうに。
足りないようだ。何か。

あるいは多すぎるようだ。

わたしは向かない。人との関係に向かない。
喪ったものが大きくて、他の関係をいくつも結んで、
大小たくさんの関係で埋めようとした。

そんなことはできるはずもなかった。

だってわたしだもの。ねじれたわたしだもの。
だって大きかったもの。なくした存在は。
だってわかりあえなかったもの。結局誰とも。

そしてまたひとり。

人は誰でもそうだけど。

またひとり。


独白

わたしの中には自分がきちんとできていないのかもしれない。

いや、さすがに自分というものは存在しているのじゃないだろうか。

ただその「自分」が、ぽかっと空いた空間の中に存在しているのが、空虚なのだ。

わたしはわたしの中の、ぽかっと空いた空間を満たしたい。
海の底のような、羊水の中のような、心地いい流動体で満たしたい。

その中に自分がいるのなら、わたしは寂しくないだろう。

わたしは頼りない手さぐりの空間で、よろめいたりしながら手を伸ばすこともない。
緩やかな流動体に包まれて、安心して揺れたり漂ったりすればいい。

でも友達では、この空虚を満たしてくれない。
わたしをすっぽり包み込んでくれはしない。
どうやらそうらしいということが、久しぶりに友達を得てみてまた分かる。

そうだ、ずっとそうだったんだ。

結局、ここを満たしてくれるのは、家族しかいないこと。
前に悟ったけど、家族と呼べる存在が夫一人だけになってしまったから、
他に満たしてくれる人は誰もいなくなってしまったから、
もっと欲しくなったのだ。

そうして友達を得てみたけれど、この人が友達である限り、あくまでお互い空虚の中に立つ存在同士なのだ。
愛でなくては、空虚を満たす流動体にはなれないのだ。

そしてこの人は、わたしを愛するようにはならない人なのだ。
どんな形の愛であれ。

男の人なら、夫と同じ愛では愛してくれない。
女の人なら、妹と同じ愛では愛してくれない。

わたしにとっての家族であったこの二つの愛は、友達では満たしてもらえないものだった。

友達を得てみて、また空虚を悟る。

もしひとつしかない残された愛がなくなったら、わたしはどうしたらいいのだろう。

と、友達を得てみてまた不安になる。


週末の朝

週末の朝。
幸せな物音。

朝の光の中、歩いていく親子の声。

これから育っていく命と、
そんないいものを持っている親。

何もない自分の部屋の中を見渡して、
縁のない幸せを思い知らされる朝。


心のひきこもり

もう誰にも二度と心を許さない

この痛手は耐えかねた

もう誰にも二度と心を許さない


それだけが残されたもの

わたしは書きたいことを書く。

それだけが、わたしに残された慰めだから。

消えないストレスを、考えても仕方ない。
他に心配すべきことは、いくつもある。

分かっていても圧迫されるし、
頭を離れない。
日々、理不尽は起こるから。

だからわたしは、書きたいことを書く。

それだけが、わたしに残された救いだから。


ほんの少し

人生がまだ終わってなかったと知るのはいいことだ。
そこはかとなくいいことだ。

頭のてっべんの避けられない白髪をまめに染めてみたり、
胸の形を整えるブラを買ってみたり、
ダイエットなんかして、顔が痩せたらたるみが現れて嘆いたりする。

もうかなり終わっているのだけれど、まだいいこともある。
それを知るのはいいことだ。

月曜の朝が嫌でなくなる。
仕事帰りにカフェなんて寄ってみたくなる。
人と優しい気持ちでつきあえる。
なんかうきうきしたりする。
足取り軽くなったりする。

もう人生に気負いなんかない。
少し嬉しければ楽しめる。

ほんの少しで気分が上がる。

明日、悲しみが待っているかもしれないとわかっていても、
明日、ひどいことが襲ってくるかもしれないとわかっていても、
ほんの少しで微笑める。

そこはかとなく微笑める。


誰もが何かを抱えてる

誰もが何かを抱えてる。

それがわかると、許せるように思える。
そうか、この人がこうなのは、そういう事情だったのか。

でも誰もが何かを抱えてる。

わかってもやっぱり、許せなくなる。
なるほどたしかに事情はあるかもしれないけど、

でも誰もが何かを抱えてる。
あなただけじゃないのよ、って。


人生はごちゃごちゃ

うまくいってると思えることもある。
うまくいってると思えることの中にも、
「でももしかして」や「あれはまずかったな」がある。

心配なまま、不安を抱えてることもある。
心配で不安で考えると暗くなっても、
「まだ絶望ではない」や「なんとかこのまま」がある。

逆境に陥って、ずっと逆境を耐え抜くのでもなく、
悲劇が続いて、立ち直れずに慟哭するのでもなく、

すべてが良い連鎖、順風に援けられて進むでもなく、
素晴らしく嬉しいことがあって、絶頂を見るでもなく、

人生はごちゃごちゃ。

いいことも悪いことも混ざり合って、
いいことの中にも悪いことがあって、
悪いことの中にもましなことがある。

――つまり、具体的に物語れば、

仕事はうまくいきはじめているけど、
子供のことは心配ごとがある、

うまくいきはじめた仕事も、ときに失敗や後退があり、
心配な子供のことも、まだ希望はあり、ときに前進する。

介護している義父母は、ストレスであり、イライラ。
仲の良い異性の同僚は、自己満足でもあり、いい気分。

慰めである実母が病気を抱えて、不安。
でもまだ絶望ではない。
ということは、ずっと不安ということでもある。

――つまり、そんなふうに、
四十も後半に入れば、人生はごちゃごちゃ。

同時にいくつもが重なって、ごちゃごちゃの毎日。

・・・・・・ごちゃごちゃだってこと。


すれ違い

自分の生活が変わる。
仕事が変わると、自分も変わる。

意識も、リズムも、見ているものも、
変わっていくことになる。

パートナーへの依存が大きいと、
変わらない相手と、変わって行く自分の乖離に、
寂しくなる日が来る。

すぐに来る。

その果てにはすれ違った人生が、すれ違った愛の残骸が、
ただのなれあいとなって存在するだけではないかと、
悲しくなる日が来る。

すぐに来る・・・・・・


新しい仕事

この仕事には何も求めていない。

だから大丈夫。

評価も昇進も、やりがいも楽しさも。

給料以外、この仕事には何も求めていない。
だから大丈夫。


このカテゴリーに該当する記事はありません。